おっさんのつぶやき

その08.出張

11月初め、高知に行った。洋蘭取引懇談会に出席するためである。今は営業部から離れているゆえ、久しぶりの産地への出張である。この高知の会に行くのも10年ぶり位ではなかろうか。出席した組合員は30名程度、ずいぶん少なくなったという印象をもった。現在の会員は43名であるが、実際に活動しているのはこれぐらいの人数だという。近年、花の生産の業界は厳しさを増すばかりであるが、特に洋ランは重油の急激な高騰により、大変な苦戦状態である。しかし現在まで生き残り、生産を続けているのは、技術的にも優れた人たちばかりであり、若い後継者が多い。そういう意味では、数は減っても、高知の洋ラン生産は衰退とばかりは言えないかもしれない。

 今年の高知のシンビ鉢物の生産量は17万鉢、いぜんは30万近い量があったと思うので、この10年くらいの間に半減したと言える。これに対し、出席市場は18社もあった。シンビは全国的にコマ不足となっており、市場間の競争も激化している。広島市場も、県内の生産はほとんど消滅し、高知産のシェアは5割を超えている。しっかりとした相場で販売していかないと、年末のギフトのメイン商品を失うことになりかねない。翌日、生産者のハウスを廻ったが、全般に順調な生育状況である。若い生産者が老いた親とともに3年間かけてつくり上げた洋ランが、静かに出番を待っている。花を市場に出荷することは、「自分の娘を嫁に出すのと同じ気持ちなんじゃ」と、ある生産者に聞いたことがある。丹精込めて育て上げた「花嫁」を受け取る市場側も、それなりの覚悟が必要である。生産者、花屋さん、そして市場にとって「いい年末」となり、「いい正月」となることを願いたい。

「出張はしんどいことも多いんじゃが、市場の人間が一番やりがいを感じるときかもしれんのう。」

その07.Nさんのこと

 わが社に「Nさん」という人がおられた。過去形で語らなくてはならないのは、すでに退職され、しかも5年前に他界されているからである。その人は仕事の面でも有能であったが、非常に温厚で高潔な人柄ゆえ、社員の信頼の厚いひとであった。そして、会社の仕事だけでなく詩吟の会をもっておられ、「先生」として多くの生徒を熱心に指導しておられた。

 このように立派な人格の持ち主であったが、一つだけ困ったことがあった。飲酒運転に対する罪の意識が、見事なまでに欠如していたのである。仕事を終え、詩吟の会の集まりがあるまでの空き時間に、夕食を兼ねてほとんど毎日のように飲んでおられたのだ。私もたまに、「ちょっと行きますか」と誘いがかかり、お相伴に預かることがあった。当然ながら、私も帰りは飲酒運転ということになる。

 ある時、私がたずねた。「毎日のように飲酒運転をして、よく捕まりませんね?」すると、よくぞ聞いてくれましたとばかり、答えてくださった。「必ず会社の制服を着て、帽子をきちんとかぶらないといけません。そしてもし検問にかかったら、すぐに窓を全部下ろして、『ごくろうさま』と言うのです。『遅くお帰りですね』と聞かれたら、『会社の勉強会がございまして』と答えるのです。」-何ともすばらしいアドバイスである。この方法で、最後まで検問に引っかかることなく、おいしい酒をたらふく飲んで、一足先にあの世に逝かれてしまった。このようなことは、今ほど飲酒運転を厳しく言われなかったからこそやれたことである。最近のような飲酒運転撲滅キャンペーンを見られたら、Nさんは何といわれるだろうか。現在の花満の状況については、何と言われるのであろうか。かなわぬ夢であるが、聞いてみたい気がする・・・・・。「すばらしき人」との「古き良き時代」の思い出話である。

「仲のええもんと酒を飲んで話すんは、ええもんよのう。ほいじゃが飲酒運転はいけんで。」

その06.飲酒運転

 「安全運転管理協議会」なるところから、ある文書が届いた。「飲酒運転の追放宣言をそれぞれの職場で書いて提示し、その文章を事務局までFAXするように」とある。最近のマスコミの飲酒運転撲滅キャンペーンは凄まじい。福岡市で3人の幼児が車ごと海に転落して死亡した事故以来、全国各地で飲酒運転への処分を厳しくする動きが出ている。広島市のように、飲酒運転だけで「原則免職」という規定を設けるところもあり、厳罰化の動きは公務員のみならず、民間にも波及しそうな状況である。特に最近は、飲酒運転の「幇助(ほうじょ)」が取り締まりの対象になったことは注目すべきだ。(車で来た事を知っていながら)酒を飲ませた飲食店や、(運転手が酒を飲んでいることを知りながら)一緒に乗っていた者までが、罪に問われてしまうということである。ここまで来ると「のんべ党」に属する私などは、「ここまでやるか!?」という気がしてくるのである。

 市場というところは、昔から酒との因縁が深い所である。初市といっては飲み、納市といっては飲み、大市といっては飲み、花供養で飲み、反省会といっては飲み―そして仕事が終わったからといって飲むのである。まさに「一年中酒が飲める歌」の世界である。このようなわが社の伝統は、「のんべ」には極楽であろうが、「下戸」にはつらいこともあろう。あまり飲みたくない時でも、「これは御神酒じゃから飲まんといけん」と勧められると断りきれず、ついつい一杯ということになる。このようなことは、日本の会社の悪しき伝統という見方もあるが、社員同士のコミュニケーション上では、大いにプラスになっていると思われる。しかし、現今のような厳しい状況においては、会社帰りに「ちょっと一杯」というわけにはいかないのである。早朝出勤が多く、ほとんどの社員が車で通勤しているからである。少々寂しいことではあるが、これもご時世ということかもしれぬ。

その05.他市場

 8月の終わり、埼玉の「鴻巣花き」に行く機会があった。4年前に、二つの市場の合併により誕生した鉢物専門市場である。昨年の売上げは、約93億円で全国12位となっている。セリ方式は、映像を取り込んだ6ヶ所の機械ゼリ。セリ台の手前のポールを台車が通過すると、自動的に画面入力が行われる。アルミ台車3000台を使用し、見本ゼリでなく、すべての商品が現物でセリ台を通過する方式を採用している。セリが終わると同時に販売シールを貼り、50人のパート社員により、買参別に次々と分荷されてゆく。セリが終わって15分したら、仕分けはきれいにすんでいるという。実にうらやましい限りの作業効率である。これも広々とした施設と十分な台車、そして鉢物専門の市場であるからこそ出来ることであろう。

 かつての花満は、「花と緑の総合市場」をうたい文句にして順調に伸びてきた。忙しいながらも、切花・鉢物・植木の3部門が全体としてはうまくかみあっていたと思う。しかしこの10年位の間に、市場を取り巻く環境は大きく変わってきた。機械ゼリの開始、相対販売、さらにはネット取引の拡大など、従来の「セリ売り」のみでは対応できない状況となっている。わが社の社員の仕事量は確実に増大し、産地や買参への対応が他市場に比べて遅れがちとなってきた。いろいろな商品を扱う総合市場であることが、逆にハンディとなってきたのである。ここ数年、社内体制を変えることでかなり改善されたものの、依然として厳しい情勢であることは確かである。

「送ってきた荷をセリで一生懸命売りゃ伸びる、という時代は終わったんじゃのう。」

その04.パートさん

 以前、わが社の陣容は67人ということを書いた。しかし、市場というのは社員だけで回っているわけではない。11年前に従来の手ゼリから機会ゼリに移行して以来、夜間の荷受けと切花の分荷を中心に、パートさんの採用を開始した。平成18年9月現在で、夜勤パートは男性のみで6名、昼間パートは女性中心で26名、計32名が働いている。今ではパートさんなしでは、セリ前の準備もセリ商品の仕分けもセリ後の片付けもままならない、というのが現状である。

 女性のパートさん20名の平均年齢は54才。まさに「おばさんパワー」のおかげで、わが市場の日々の業務を無事にこなしていると言える。朝の切花のセリが2~3時間で終了すると、15分程度の休憩タイムだ。彼女たちはそれぞれ3~4人で台車に腰をおろし、用意していた水筒やお菓子を出してなごやかな「井戸端会議」となる。時には若手社員も同席して、お相伴に預かっている。しかし、私のような「気難しい暗い顔」したおっさんが呼ばれることは決してないのである。

 概して言えることは、男性は高齢になると口数が少なくなり、「陰気な老人」になっていく人が多い。それに対して女性はよくしゃべり、よく笑い、「元気なおばさん」になっていく傾向が強いようだ。これこそ、女性長寿の一番の理由だと思う。私も自らの健康のために、「暗く気難しい顔」を「明るい優しい顔」に変貌させたい。しかし、これは持って生まれた性格でもあり、至難の技である。

「花を作るのも、売るのも、買うのも、おばさんパワーがあってこそ。花の業界を支えとるのはオバチャンというのを忘れちゃあいけんよのう」

その03.応援

 7月の終わり、久しぶりに野球観戦の機会があった。場所は神戸、スカイマークスタジアムの「オリックス―ロッテ」戦である。少し遅れて球場に到着すると、広いスタンドはぎっしり満席状態。私たちは、一塁側の内野二階席のほとんど頂上あたりに、やっと自分たちの席を見つけることができた。それからまもなく、向かいの外野レフトスタンドの異様な動きに気づく。スタンド全体を埋めつくす黒シャツ軍団が大きく動いている。「チバ!ロッテ!マリンズ!」-スタンドが叫び、旗が舞、踊り、飛び跳ねている。この激しい声と動きの応援は、ロッテの攻撃中は休むことなく延々と続いている。「どうなっとるん。疲れるじゃろうに!」妻が思わず叫ぶ。試合は応援の迫力に勝るロッテが、4時間半の延長戦を制して4-3で勝利。

 試合後にロッテ応援席にいた息子に聞くと、ロッテの応援の激しさはこちらでは有名だという。広島カープを裏切り阪神ファンになっている彼は、「応援が面白そうやから」というだけでロッテ応戦席を取ったという。レフトスタンドを埋めつくした黒シャツの若者のかなりの部分は、「千葉から来た熱烈なロッテファン」ではなく、「神戸の普通の野球ファン」ではないのか。彼らは「ファンになったから応援をする」のではなく、「応援が面白いからファンになる」のである。これは明らかに我々の世代の常識とは違う考え方である。このような「逆転の発想」についていけるだけの、柔軟な頭と心がこれからは必要なのかもしれない。

「今の若い者は宇宙人。わしらには理解できんことばっかりよの。」

その02.年齢

 ひとつの会社をみる時、社員の年齢の分布は、その企業の経営の体質と状態を知るための目安のひとつになるだろう。たとえば社員の年齢が20~30代に偏り、40代以上がほとんどいないという場合、起業まもない会社でない限り何か問題がありそうである。また逆に、高い年齢層ばかりで若い社員が少ないケースも、将来性や活力の面で不安である。

 さてわが社の場合、男性は40代が一番多く13名、あとは30代11名、20代10名と続き、平均は41才である。女性社員は30代が9名で一番多く、平均は39才となっている。全社員は67名(役員含む)で、うち男性は45名、女性は22名、全体の平均年齢は40.6才で、やや高めであると言えよう。しかし全体的な年齢構成としては、現在はそう悪い状況ではないと言えよう。ただし若手社員がやや少ないので、今後の10年に課題がありそうである。

「40いうたら、まだバリバリよ。ほいじゃがあまり無理はできん年で」

その01.はや30年・・・

 私は、今年の12月で勤続30年になる。もうそんなに年をとったのか―という感慨はあるが、特に誇らしく言うつもりもない。終身雇用、年功序列といった日本的な雇用体制が崩壊し、転職が「美徳」であるかのように言われる現況においては、少し恥じらいをもって「今年で30年になるんよ」とさりげなく言うくらいがちょうど良いのかもしれない。

 それにしても私は、この世の多くの仕事、多くの会社から、今の仕事とこの会社を選んだ。いや、何かの運命のいたずらにより、今の仕事にたどり着いたという方が正しいのかもしれない。学生の頃には考えもせず、興味も全くもたなかった「花の仕事」に飛び込んで、はや30年・・・・・。人生というのはそんなものかもしれぬ。

「気がつけば ええ若い衆も 定年前」