おっさんのつぶやき

その18.母の日

 今年の「母の日商戦」も無事に終了し、市場は落ち着きを取り戻したが、例年のことながら相場は切花も鉢物も軟調である。要するに、母の日前の大量販売の反動で、その後は売れないという現象を毎年繰り返しているのだ。母の日は5月の第二日曜日という1点をターゲットにしているため、注文品を中心とした大量入荷の対応で、市場職員も非常なハードワークを強いられる。これは市場のみならず、買参人も生産者も同様である。運送会社も、眠る時間を惜しんで走ることになる。まさに業界あげての一大イベントであり、くたくたに疲れるまで働く「狂想曲」である。

 しかし、これだけしんどい思いをして、本当に皆さんが儲かっているのだろうか?確かに市場の取扱いは増大し、売上げ金額は大きい。その分だけ、販売側も生産側も儲かっているということになる。しかし、前記したような、母の日の前後の相場の下落という要素も含んでいる。店頭の商品を見る限り、2~3千円の商品を主流に、1万円以上の高額のものまで、数多くの商品が陳列されている。それらの値段は普段より高めに設定されており、子供たちが自分で買える価格帯とは言えないようである。「母の日」というのは、高価な商品が大量に売れる業界上げての「稼ぎ時」であっても、将来に向けてのキャンペーン(消費宣伝活動)にはなっていないと感じるのである。普段は花を買う習慣をもたない人を、店に呼び込むには最高の機会であるにもかかわらず・・・。

 東京とその近郊の駅前などを中心に販売展開をしている「青山フラワーマーケット」という会社がある。最近の6年間で6倍以上に売上げを伸ばしており、現在55店舗で38億という。この会社のポリシーは、「一人が100本の花を買うより、1本の花を100人に買ってほしい」ということである。これこそが「個人需要の掘り起こし」と言えよう。私も大宮駅構内の店を何度かのぞいたことがあるが、確かに買いやすい価格であり、しかも洒落た感覚の、購買意欲をそそる商品があふれている。これだけ急速な成長を遂げているのもうなずけるのである。

 小学生の女の子が、花屋さんに初めて一人で入ってみる。自分のこづかいをはたいて、小さな花束を買う。家に帰ると、お母さんが喜んで食卓のテーブルを飾る。「いつまでもきれいだね。」食事の話題になり、そこに花のある時間と空間が生まれ、いつの間にかその家の習慣となっていく。そのような形になれば、「母の日」が「花育」として、将来的な市場の拡大とも繋がる絶好の機会になってくるのでは・・・などと考える私はロマンチストに過ぎるのだろうか。

「商売には、損して得をするいうこともあるけえ、母の日じゃけえ、安う花を売るいうのはできんもんかのう」

その17.衝動買い

 当市場においては、月曜から金曜まで、毎日のようにセリ売りが行われている。セリ売りの基本は、適正な価格で、公平で迅速な販売をすることだが、それは建前というものである。現在は植木のセリ以外は機械ゼリとなっているので、以前ほどではないが、それでも高く売りたいセリ人と、安く買いたい買参人との間で、常に多くの「駆け引き」が行われていることは確かである。仲卸の社長が、「オークションルームには魔物が住んでいる」と言われたことがあるが、それはセリで応札する人の心理をうまく表現していると思う。必要なものだけを、冷静に頃合の値段で取ろうとしても、ついつい価格に釣られて不要な商品まで買ったり、その場の雰囲気で予想以上の価格で買ってしまうということであろう。

 先日、某国営放送において、「衝動買い」における消費者の心理分析をしていた。それは心理学において「アンカリング効果」と呼ぶらしいのだが、これはセリにおける買参の心理にも通じると思われる。すなわち、最初に大きな数字を見せられると、後のものが安く感じられるということ。同じ千円の商品を買うときにも、その前に一万円の物を見た人と、百円の商品を見た人では、全く異なった金銭感覚になるというのである。いま一つは「ひよこ」を使った実験で、すぐに餌が1個出るボタンと、3秒たつと6個出るボタンがあると、「ひよこ」は迷うことなく早く餌が出る方を選ぶのである。これは「早く買わないと、いい物がなくなってしまう」という、バーゲンの心理に通じるものであり、人間の本能といってもいいかもしれない。

 わが家にも、衝動的に買った不要な物があふれている。この番組を見た後で、私は妻に言った。「その時の気分で、つまらん物をえっと買わんようにせんといけんのう。」すると、彼女は黙って私を指差す。「わしが一番の衝動買いかい?」―配偶者は、にっこりとしてうなずいた。

「結婚というのは、男にとっても女にとっても、人生一番の衝動買いかもしれんのう。ほいじゃが、後悔ばっかりでもないと思うがのう。」

その16.退職

 本年3月末日をもって、3人の花満社員が退職された。それぞれの分野で、長い年月に渡ってわが社を支えてきた人たちである。この欄を借りて、報告をさせていただきたい。。

中村 泰之氏 66歳
 勤続48年。入社当初より、切花・鉢物・植木のセリ人の中心として活躍。役員として専務に就任後も植木のセリは続けられ、最後まで「現役のセリ人」として仕事を終えられた。

芋里川 清氏 69歳
 勤続53年。戦後間もない昭和29年入社。長年に渡ってセリ人として現場の仕事に従事。4年前に役員を退職後も、嘱託として業務の仕事を継続。徹底した「現場人」であった。

平田 久幸氏 65歳
 勤続33年。昭和49年、事務機メーカーより転職。事務処理のコンピューター化に尽力された。機械ゼリ・システムの導入、ネット取引の開始など、花満の「頭脳」として活躍された。

 いずれも、わが社の創生期、そして成長期を、中心になって支えてきた人たちである。退職や他界により、「古き良き時代」の中心であった人たちが去っていき、これで花満のひとつの時代が終わったと言えそうである。

 退職というのは、今年58歳になる今の私自身にとっても他人事ではない。長年勤めているほど、寂しさも増すものであろう。しかし、私は退職を人生の終了ではなく、新たな出発「第3ステージ」の幕開けであると考えたい。「第1ステージ」というのは、この世に生まれて親に育てられ、教育を受けている期間であり、「第2ステージ」というのは親の元を離れ、社会に出て働いている期間である。そして「第3ステージ」は、ぞれまでの自分の経験をもとに、自分らしい人生の締めをする時であると思う。3人の方々の、これからの人生のご健康、そしてご多幸を祈りたい。

「ほうは言うても、53年勤めるというのはえらいことよのう。なごうおれる会社いうのは、自慢してもええことよ。」

その15.暖冬

 「暑さ寒さも彼岸まで」などと言うが、春分の日を過ぎても広島地方の今朝の気温は4度、昨日は1度という状態である。昼間はさすがに暖かさを感じる気温になったものの、朝晩の冷え込みはまだ真冬並みで、私の朝の仕事の格好は2月から変わっていないのである。体感的には2月は例年よりも暖かく、3月はいつもより寒いという感じである。

 ともかく、今年の冬の総括は“記録的な暖冬”ということになっており、消費動向もかなり変則的であったようだ。新聞報道によると、コートやハンドクリーム、灯油などは売れず、スキー場も雪不足でさっぱりという状況だという。食のほうでは、コンビニの「おでん」が売れず、鍋物に入る白菜、大根なども不振であった。豆腐製造業を営む私の友人も「今年の売れは最悪じゃわい」と嘆いていた。反対に景気の良い業界もあり、ゴルフ場は大幅に入場者数を伸ばし、コンビニのアイスクリームの売れも、前年比20~30%増であったという。わが業界に関係の深いホームセンターでは、冬場にも関わらず、園芸用品の需要が落ち込まなかったという。

 わが社の2月のデータを見てみると、草花の数量は前年比115%と多めの入荷にも関わらず、単価は144%と非常に良い数字となり、金額的には167%という大幅な伸びとなっている。この数字を見る限り、新聞報道は間違っていないと言えそうである。花の業界は、入荷の増減、品質の良し悪し、相場の変動などに常に天候の影響を受けている。セリ人の中には「わしらの商売は“てきや”といっしょ。週末に雨が降ったらおしまいよ」と自嘲気味に言う者もいる。特に花苗の担当者は、週末の天気予報次第で買参の買いが大きく変わる、と感じるようである。天気で相場が決まり、売上げを左右されると考えると、少々さみしい思いもする。しかし、こう考えてみてはどうだろう。我々の業界は、1年を通じて温度や天候の変化と闘い、季節の流れとともに生活をしているのだと―。

「晴れの日もありゃあ、嵐の日もあるわい。えらい時もしんぼうして売っていくしかないよのう。」

その14.趣味の園芸

 「こりゃどうなっとるんかのう?何か出てきよる!」最後の花を摘み取って外に出そうとして、私は思わずつぶやいた。年末に近くのスーパーで買った、5寸鉢のシクラメンのことである。良く陽の当たる窓辺に置き、時に液肥をやり、花殻を摘み、葉組みをする、ということをくり返してきた。しかし、上がってくる花の数もだんだんと少なくなり、3月に入ると1本しか咲いていなかったのである。その最後の1本を摘み取った時に、ごく小さな芽のようなものが、その下から出てきているのを発見したのである。―それから2週間後、それらは小さな花芽とわかるまでに成長してきた。「こいつらは、一体いつまで花を咲かせるつもりかのう」などと思いつつ、葉を外側に下ろして、花芽に十分に陽の入るように手入れに余念のない毎日である。

 「植物というのは、人が手をかけてやればやるだけ、正直に答えてくれる」―これはガーデニングの好きな人がよく口にする言葉であるが、花の世界の魅力の一面を良くとらえていると言える。植物というのは、人間の「愛」を裏切らないのである。もし、愛情をそそいだのに枯れてしまったとしたら、それはあなたの愛し方が間違っているのである。日照、水やり、土壌、肥料、病害などの、何かの要素に問題があった、と考えなくてはなるまい。

 私は時々、市場の片隅に放置され、傷んで枯れかかっている鉢花を家に持ち帰ることがある。引き取り手のない、市場のゴミである。すでに手遅れとなって、どんな処置をしても枯れてしまうものもある。しかしそれらの多くは、ピンチをし、植え替え、肥料をやり、陽に当てることで見事に再生してくれるのである。例えば、昨年の春に全く葉のない状態でゴミの中に捨てられていた観葉・セロームの尺鉢は、夏になる頃には見事な葉を一杯に繁らせて、わが家の玄関先を誇らしげに飾っていたのである。日増しに暖かくなっていくこれからは、植物の再生にとって最高の季節。私の目は「有望なゴミ」をいつも探している・・・。

「植物と仲ようやることが大事よのう。誰も持って帰らん<みなしごハッチ>を作っちゃいけんで。」

その13.世界ラン展

 私は時々ではあるが、「花の仕事」に従事していることに、劣等感のようなものを抱くことがある。それは、同じ中央市場に入っている魚市場や青果市場の売上げと、わが社のそれを比較した時であったり、スーパーやホームセンターの片隅に追いやられて、寒風にさらされている「売れ残りの花」を見たときであったり、様々である。所詮、花というのは人の生活の必需品ではなく、嗜好品にすぎないではないか、という気持ちになるのである。そのような「花というのはマイナーな商品ではないか」という寂しさを吹き飛ばしてくれるのが、この「世界ラン展」である。

 銀色に輝く巨大な卵「ビッグエッグ」の中に入り、観客席の上から球場内を見下ろしてみよう。中央のシンボルゾーンを中心に、数多くのディスプレイと品目別の審査コーナー、さらに販売コーナーなどが広い野球グラウンドを埋めつくしている。ここで、まずは広角レンズを使って全体写真を撮っておきたい。観客席の通路を下りたら、まずは正面ゲートからの中央のシンボルゾーンまでを、ゆっくり歩いていくといい。ここは主催者が毎年テーマを変えて展示をするコーナーであり、あなたの想像を越えた華麗なランの競演を見ることになろう。それからあなたは話の種に、今年の日本大賞の花を見ておかなくてはと思う。しかし、入賞花の並んだ円形の展示コーナーの前は、ラッシュアワーのごとく人の群れが囲み、ズームレンズを使わないと写真も撮れない状況なのだ!もう少し人の少ない時間帯にしようと思い、振り返って観客席の方を見ると、人の列の帯が続々と球場内の中に向かっており、人の波はしばらく途絶えそうにない・・・。

 「世界ラン展日本大賞」は年とともに拡大し、現在では入場者は40万人を越え、出展品への賞金総額は1700万円という。質量ともに世界最大級の大会となっている。「花の仕事」をしていて、なぜか自信をなくしている「あなた」―時間とお金をなんとか工面して、東京ドームまで足を運び、「花と人」に酔ってみてはいかがですか?今年は2月24日から3月4日までの開催ですよ!

「東京じゃけえ、あがいなことが出来るんようとか言わんと、広島も負けんようにやらんといけんのう。」

その12.幸運

 前回のコラムで書いた競馬について、どうしても忘れがたい友人がいた。時は70年代前半、舞台は東京である。当時、学生の身でありながら数多くのアルバイトをしていた私は、時給の高い肉体労働をすることが多かった。その中の一つに、着物の展示会場を造るという仕事があった。畳や木材などの積込みや搬入といった作業であったが、給料が日払いで食事付き、泊まりもOKなどの好条件もあり、多くの若者が集まっていた。私のような貧乏学生のみならず、作家志望、マンガ家志望、劇団員、元自衛隊の空手家、売れないミュージシャン等々―それは今にして思えば、70年代の青春群像そのものであった。

 そのような若者集団で、一緒に汗をかき、酒を飲み、徹夜で語り合う中で出会ったのが、Sくんであった。多くの個性の強い男たちの中で、温厚でおとなしい彼は目立たない存在であったが、二つの点で一目おかれていた。一つは、彼が日本最高学府のT大工学部の「元学生」であったこと。もう一つは競馬で大穴当てているということであった。五千円の馬券が300倍になったというのである。すなわち、当時の金で150万円を得たということになる。当時の私の古アパートの家賃は一万円、一ヶ月の仕送りは三万円という時代である.現在の価値で言えば、3~4倍になると思われる。なぜ大学をやめたのか彼の口から聞くことはなかったが、競馬への「のめり込み」が原因でやめた、という噂であった。彼の競馬の持論は、「事前に決めていた馬を、競馬場に行って欲を出して変えたりしなければ、競馬で損をすることはない」というものであった。

 その後、彼は再びT大を受験し、今度は文学部に合格する。「心理学」をやりたいと言っていたが、私が広島に帰って数年後、音信が途絶え、現在の消息は不明である。優秀な研究員になれた人間であろうに、大穴馬券の「幸運」が彼の人生を狂わせたのではあるまいか。もし、生きているのであれば、再会し語り合いたいのだが・・・。

「人間万事塞翁が馬。何が幸福か、何が不幸か、死ぬまでわからんよのう。」

その11.ディープインパクト

 人の人生というのは、老いてゆくにつれ、大きな「感動」というものが失われてゆくようである。若者のような「失恋の涙」もないし、プロスポーツ選手のような「勝利の歓喜」とも無縁である。しかし、日常の生活の中で、小さな「喜怒哀楽」というものは存在する。

 いささか古い話題となってしまったが、昨年末の競馬グランプリ「有馬記念」は感動ものであった。断っておくが、私は競馬ファンではないし、その時の馬券さえも買っていない。そんな門外漢の私が競馬について述べる資格もないかもしれないが、そんな私でさえ、あの馬「ディープインパクト」の走りには感動したのである。

 中山競馬場に12万人の大観衆の見守る中、14頭が一斉にスタート。レース中盤の彼は後ろから三番目でほとんど最下位、先行馬はますます差を大きく広げている。(おいおい、だいじょうぶか!)第3コーナーから第4コーナーへ、14頭の馬が一団となってきた。直線コースにかかるカーブ。彼が一番外側から、ぐんぐんと飛び出してくる。(来た!来た!いけ!いけ!)彼はひときわ大きなストライドで後続馬を引き離し、風のごとくゴールを走りぬける。(すごい!やった!やった!)・・・・・気がつくと私の目頭は熱くなり、うるうる状態となっていた。

 あとで新聞で知ったことだが、中盤のどんじり状態は彼の指定席で、騎手は走りたがる彼を押さえていたようである。最後の最後にごぼう抜き、というあのような勝ち方は、並外れた力量あってこそ可能なことである。ハラハラドキドキのあとの大逆転―これは日本人の一番感動する形でもある。「水戸黄門の印籠」にも通じるかもしれぬ。もしかして彼は、人を感動させることを計算して、あのような走りをするのではないか(?)とさえ思える。いずれにせよ、彼は我々にディープインパクト(深い衝撃)を与えて、風のごとく飛んで、走り去ってしまった。

「願わくば人生の最終コーナーで大逆転といきたいが、ちいと無理かのう。どちらかというと、わしにはディープよりハルウララの方が、似つかわしいかもしれんわい。」

その10.初仕事

 今は年末の繁盛記の最中である。朝早くから、荷下ろし・荷受・予約やネット販売の処理、そして前売りした荷物の分荷と、多くの作業を短時間にこなすことが市場に求められる。営業担当者はセリ売りのみでなく、予約や相対の対応や、産地や売店への営業、そしてネット販売の入力までしなくてはならない。この10年くらいの間に、市場の仕事は大きく拡大し、多様化し、繁雑になっている。そして社員の労働量と会社の経費は増加しているのに、市場の売上げは伸びてこないというのが、全国の多くの市場の現況かもしれない。

 私は30年前の12月に花満に入ったのだが、私の最初の仕事は、大きな竹を山から担ぎ出す事であった。近郊の山の中に入り、先輩社員の切った長い竹を担いで墓地の中を抜け、鉄道線路沿いを通ってトラックまで運ぶ、という肉体労働を若手社員がやるのである。「これが市場の仕事と言えるんか?」と思ったものだが、その当時は市場が花屋さんから注文を取って、たくさんの門松を社員が作っていたのだ。セリが終了して一段落すると、現場のほとんどの社員が軒下に座り込み、門松づくりに精を出していたのである。不器用な私は、竹の先を斧で粗削りして電気カンナをかけることを毎年のように担当していたものである。冬の日だまりの中での作業で、何処かのんびりした感じの年末風景であった。

 当時は年末の入荷が多くなるといっても、現在とは比較にならぬ物量であったし、産地や売店の対応もあまりなかった。本業以外の雑務が多く、勤務時間はかなり長かったと記憶するが、現在のように市場が厳しい競争にさらされておらず、まだまだ「余裕のある時代」であった。そんな状態でも、当時の市場の売上げは毎年着実に伸びていたのである。

「昔話ばかりするようになると、年を取った証拠かのう。ほうはゆうても、ええ時代じゃったよのう。」

その09.銭湯

 私は年に何回か、神戸に行く機会がある。長男がそこに住んでいるからである。週末を利用して2~3日滞在するのだが、観光をしたり繁華街に出たりということはまれで、大抵はアパートの近くで食事をしたり、買い物をしたりということが多い。なかでも一番の楽しみは、車で10分程度の距離にある、いわゆる「ス―パー銭湯」に行くことである。そこには大きな露天風呂がついており、夜の明石大橋のイルミネーションが一望できるのである。温かい湯に身体を沈め、星空を見上げていると、現実世界のいろんな出来事をすべて忘れてしまっている。自分が原始の人間に戻ったかのように、何も頭に浮かばない「無我」の状態となっている。実に不思議な幸福感である。500円玉一個で味わえる、最高の贅沢と言える。

 ある時、私は奇妙なことに気付いた。その銭湯は夜の7~8時の時間帯には利用者も多く、かなりの混雑になり、腰かけて体を流す場所も順番待ちの状態になっている。しかし、そこで口論など聞いたことがないし、ましてや喧嘩など見たこともない。人間という動物は、衣服を脱いで生まれたままの姿になり、温かい湯につかっていると、怒りの感情を忘れるらしいのである。そこで私の提案であるが、一番人間同士の利害と対立の激しい舞台となる政治世界の会談なども、露天風呂でやってみてはいかがなものだろうか。今話題の「六ヶ国協議」なども、もう少しなごやかなものにならないだろうか。アメリカ、北朝鮮、中国、そして日本などの各国の代表が、みんな衣服を脱いでスッポンポンの姿で湯につかっているという光景は、想像しただけで楽しい雰囲気である。そこでは「拉致」も「靖国」も、きわめて友好的なムードで話し合えそうである。ところで、もし女性代表が来たらどうするか―それが一番の問題かもしれない。

「外人はいっしょに風呂に入るのを恥ずかしがるそうなけぇ、こういうのはちと難しいかのう。」