その31.もてる男

 広島県の東部、福山市から海のほうに向かって車で走ること約30分、鞆の浦という小さな港町がある。戦災にもあわず、大きな火災も免れてきたので、そこには江戸時代から続く家屋や風景が多く残されているそれゆえ、映画やテレビの撮影も、よく行われている。昨年の春、妻の付き合いで、この町に出かけたときの話である。

 私と妻は夕食をとるべくホテル近くの居酒屋に入った。テーブル席が二つとカウンターがあるだけの小さな店だが、ロケを終えた芸能人らがよく訪れることで、地元では知られた店である。席についてすぐに、妻が小声で耳打ちする。「H・Sがいるよ!」「誰?」「H・Sよ!知らないの?今朝のNHKの連ドラにでてたじゃない。」妻が目配せする方をそれとなく見ると、カウンターの角に、ツルツル頭の中年男が座っている。見覚えのある風貌である。彼はとなりの女性と話し込んでいる様子だ。私たちは食事をとりつつ、雑談に花を咲かせる。私は酒が入って、少しいい気分になっている。彼の連れらしき女性が席を立ってから、どちらともなく話が始まった。

 「仕事でこちらに来たんですか?」「京都のロケが早くすんでね。ここのママの顔が見たくて寄ったんですよ。」-彼は昔、女性のことでよく週刊誌を賑わしていた。「女性にもてるらしいですね」「いえいえ全然ダメですよ」-(うそつけ!芸能界の千人斬りとかいわれてるくせに!)今度は彼の方から話してくる。「女性は、少し太めの方がいいですね。痩せてると、苦労をかけてるみたいで。」-すぐには彼の言う意味がつかめなかった。彼はすぐ側にいる私たちの会話を、それとなく聞いていたのである。私が妻に、「そんなにいい気になって食べるから、デブになるんよ」と言ったことに対して、妻をかばいフォローしているのである。(なんという気配りをする男だ!)-聞いてみると、彼は私と同じ昭和24年生まれ、同世代であった。妻はちゃっかりと、ツーショット写真に納まり、いささか興奮ぎみである。

 彼はどう見てもプレイボーイというタイプではない。高収入のタレントでもなければ、長身でイケメンの俳優でもない。どちらかというと地味な、貴重な脇役という感じである。それなのに芸能界の「もて男」として有名である。私たちは店を出て、妻とホテルに向かい、夜道を歩く。私は少し嫉妬していたのかもしれない。「どうして、あんなのが、もてるんかのう」妻は、(何もわかってないなぁ)という表情で言う。「あの、さりげない気配りとやさしさ。あなたね、あんなふうな目で、じっと女の人をみたことないでしょ?」-私は何も答えられない。少し寂しかった。

 「もてる、もてん、いうのは生まれたときから決まっとることかもしれんで。あんまり無理をして格好つけても、しょうがないよのう。」