その34.蜂の一刺し

人間長く生きていると、いろんなことがある。今回は、ほんの1ヶ月前に私の身に起こった「恐怖の体験」について書いてみよう。その日、帰宅した私は家の周囲のかたづけをしていた。時刻は夕方7時頃である。畑に放置してある寒冷紗の束を移動しようと、抱え上げた時、「チカー」と、顔面を刃物で刺されたような激しい痛みを感じた。思わず抱えていた束を放り出すと、下から何か数匹飛び出してくる。大柄な足長蜂だ!やっと自分に起こった状況を理解し、駆け出した。(これ以上刺されてたまるか!)家に入って鏡をみると、眉間の左、左目の眉のあたりに、赤い刺し傷がある。急いで、虫刺され薬をつける。そのうちズキン、ズキンと激しい痛みが襲ってきたが、そのうち痛みはやわらいだ。しかし、刺し傷の周囲が赤くはれてきた。

帰宅した妻に、「医者に行ったほうがいいよ」と言われ、119番で紹介された市内の救急病院に行った。刺し傷を消毒し、破傷風の予防だという注射をうたれ、飲み薬をもらったのみ。よくわからない治療であった。(後日わかったことであるが、そこはあまり評判のよくない病院であった)帰宅後に、私はいつものように入浴し、ビールを飲み、食事をした。この時には、私の顔は元の人相をとどめぬほどに腫れ上がっていた。妻は私の顔をまじまじと見て、「人の顔って、こんなに変わるもんかねえ」と、人事(ひとごと)のように言う。しかし、わたしは以外に元気だった。(これなら、明日の朝には腫れもひいて、会社に行けるだろう)この時点で、わたしは蜂の毒の威力をなめていたし、これ以上ひどくならないだろうと、楽観していた。しかし、これは本当の恐怖の序曲だったのである。

真夜中に、私は異様な火照りと、息苦しさを感じて目を覚ました。視界がぼんやりとしている。不安になり、鏡に自分の顔を映して、息を呑んだ。(こりゃ、人間の顔じゃあないわい)顔の上半分が異常に肥大し、赤黒くなってパンパンに腫れ上がり、両目は埋もれて細い線となっている。人間というより、「トマトの化け物」―「醜いエイリアン」のごとき形相である。眼は霞んでいるので、指で目を押し広げないと見えない。私は妻を起こす。「目がよう見えん!」その間にも私の視界はどんどん小さくなって、自分の正面がかすんで見えるのみ。私はあせり、そして「失明」の恐怖を感じていた。もしかしたら、蜂の毒が眼球にまわって、一生見えなくなるのではないか!私は叫んでいた「救急車!」

朝の4時過ぎ、まだ外は真っ暗である。ほどなくやってきた白い車体に、私はよろめきながらも、自分で乗り込む。救急隊員が、年齢や症状、何時ごろ蜂にさされたのか、などと聞いてくる。私に見えるのは、車内にある室内灯の明かりのみ、多分3人いるであろう隊員の顔はかすんでしまって、人相の判別はできない。受け入れ先を電話で探すが、なかなか見つからない。大学病院に一人専門医がおり、「そのケースでは失明の心配はない。今の状態では冷やすしかない。夜が明けたら皮膚科の専門医にいくように」というアドバイスをうけた。私は安堵した。「冷やすだけなら、自分でやるから」と自分で救急車から降りた。それから、医者の開く9時まで、4時間余り、私は氷をタオルに包み、左右の目を交互に冷やす。冷やしていないと見えなくなるのだから、必死である。長い夜が明け、朝1番に皮膚科病院に駆けつけた。医者は私の顔を見るなり、感心したように言った。「だいぶ腫れたねえ」私から状況を聞くと、彼は自信たっぷりに答えた。「大丈夫!大丈夫!薬を出しておきます。2、3日で必ず治ります!」

 はたしてその後、私の顔は急激に回復。一晩寝ると、次の日には視界がほぼ回復し、翌日には出社できるまでになった。私の顔は、「宇宙人」のごとき状態を脱して、「人間の顔」になっていた。しかし、鏡を見ると、顔全体がふっくらとして、目は細く、いつもの私の顔ではなかった。出社した私をみた周囲の反応はさまざまである。顔を見るなり、笑い出す者。驚いて凝視する者。「どうしたん、その顔!」と聞いてくる者も多い。そのたびに私は「実は蜂にやられてー」、と同じ説明を何回も繰り返すことになる。次週になると、私の顔は完全にもとの姿に戻っていた。「やっと、戻ったじゃないですか」多くの者が声をかけてきた。しかし、ある女子社員が私の傍で独り言のようにつぶやいた。「前の方が、やさしそうな顔だったのにね」

「他人の不幸は蜜の味」などと言う。人は本質的に、他人の災難を喜ぶ動物なのかもしれない。しかし、いつも「対岸の火事」を楽しんでいるわけにはいかない。「明日はわが身」―蜂に顔など刺されないように、くれぐれも注意すべし!

「蜂も必死なんじゃけえ。人が気イつけんと、しょうがないよのう」
(治療をしてくれた医者の独言)