目からあふれる涙をぬぐおうともせず、耐えている黒人男性の顔をTVカメラがとらえていた。何万人もの大群衆が笑いながら、泣きながら、一斉に抱き合い、握手をしている。これは、さきに行われた米大統領選、新大統領誕生の際のTV映像である。あのような全国民をあげての熱狂的な盛り上がりは、日本ではありえないことであろう。それは政治制度や選挙の方法の違いによるものであろうが、一番の理由は国民性の相違というべきではなかろうか。自分の感情や意見を積極的に表現していかないと、アメリカ社会では生きてゆけないのである。「沈黙は金」「以心伝心」などという言葉は、日本社会では生きていても、この国では存在しない。
ハワイやロスに親戚や知人がいることもあって、何度か米国を旅する機会があった。現地に行く前の私のイメージは、映画やTVの中で見た「大きなアメ車」であり、「プール付きの家」、ハリウッド映画の「ブロンド美人」であった。実際にいってみると、黒人、中国人、フィリピン人、メキシカン、ヒスパニック系、そしてポリネシアンやインデアンなどの原住民など、実に雑多な人種がおり、生活の格差も大きな国であった。この国の郊外には豊かな生活を営んでいる中間層が住んでいるが、大都会の中心部には旅行者が決して踏み込んではならない危険区域が、街のあちこちに存在しているのである。
彼らは概して親切であり、旅行者の我々にも気さくに声をかけてくる。ハワイ島の親戚を訪ねた時のことである。妻の叔母の運転手で観光に出かけ、道に迷っていた。すると、後からクラクションを鳴らして、車を横に止めて男が話しかけてくる。てっきり文句を言ってきたと思いきや、彼は道を教えてくれたのである。また、別の時に、スーパーの駐車場で鍵をつけたままロックしてしまった。修理を呼ぶが来てくれない。一見して原住民系とわかる長髪の男が近づいてきた。太い腕っ節の大男である。驚いたことに、彼は少し開いていた窓に指をかけ、腕力だけで窓を下げてしまったのである。そして、ろくに礼も聞かずに、彼は立ち去って行った。この二つの話、日本人は誰もがやれるだろうか?
国民性を表現するときに使われる、おもしろい例え話がある。世界各地からの旅行者を乗せた船が遭難したとしよう。沈没する前に、乗客を海に飛び込ませないといけない。船長はアメリカ人に言う-「飛び込むとヒーローになれますよ」ドイツ人には-「飛び込む規則になっています」フランス人には-「飛び込まないでください」そして、日本人には-「みんな飛び込んでいますよ」国民性というのは、これほど異なっているということである。明るい見通しの見えない世界的な経済不況、この状況を打開するカギは、やはりアメリカ経済の復活であろう。アメリカ人の不屈のフロンティアスピリットに期待したい。
「アメリカで車が売れんと、広島の街で花が売れんようになるんじゃけえ。やねこい時代になったよのう」